コーヒーは身体にいいのか悪いのか、僕はよく知りません。もし、少々悪かろうと、今は珈琲じゃなくちゃ、という時があります。たとえば今、まさに外来が始まろうとしているわずかの間の静かなクリニックで飲んでいるキリマンジャロの美味しいこと。「美味しくなかったら代金は要りません。」という看板を出している六本松の珈琲館で挽いてもらった豆を「仙鶴水」という濾過水で淹れています。ペーパーフィルターで適当に淹れていますが、旨いなあ。「仙鶴水」を開発して紹介してくださった老大人は先頃亡くなられた。子供たちの絵を通して中国との交流に尽力されたというくらいしか存じ上げなかったですが、一二度、お会いして小さな身体の内奥に深い広々とした人間の世界が窺えるような方だった。もう少しいろいろお話を伺いたかったことです。大昔、作家の檀一雄さんが九州大学病院に入院されている時、中学生だった僕に国語の先生が「会いに行ってこい。」と言いました。檀一雄が誰かも知らない少年が行けるはずもなかったわけですが、そうしたら、ほどなく檀一雄は亡くなってしまった。後年「火宅の人」なんかを読みふけるようになって、「ああ、会いに行っとけばよかった。」としきりに思ったもんです。チャンスの後ろ頭ははげ頭、と教えてくれた女性はどうしているかしらん。チャンスはこちらに向かってくる時に捕まえないと、過ぎ去って行く時には捕まえようたって毛がないから捕まらないんだ、と彼女は言って笑ってたな。ああ、もうこんな時間だ。外来の始まり始まり。
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