ロダンが作ったカミーユ・クローデルの頭部の彫刻を観た。と言うか、それと出会ったというか。『画家のことば』と言う展覧会が久留米市の石橋美術館であっていたので、フト立ち寄ったら、それがあった。
カミーユ・クローデルは、その彫刻の説明にもあったが、オーギュスト・ロダンの弟子・共同制作者にして愛人であった女性だ。映画「カミーユ・クローデル」ではイジャベル・アジャーニがその悲しく淋しい生涯を実によく演じていたが、この首から上のカミーユ・クローデルのなんと悲しげなことか。なんと、耐えていることか。少しうつむいてデッサンされた彼女の眼差しは憂いに満ちて、ブロンズの眼とは思えないほどだ。きれいな鼻の稜線がスポットライトに光って、何かをくっきりと訴えている。可憐な唇、ほんのすこし張った頬骨は意志の強さを伝えて、触れがたいような印象さえある。少し小さめに、おそらくは半分くらいの大きさに作られたこの人間の頭部は激しい何かを秘めて、破裂そうな緊張をかろうじてつなぎ止めているのだ。この頭部を作った作者がこの女性を愛していたこと、この女性がその頭部を作っている男を極めて純粋に愛していたこと、そのことを思うとき、この彫刻は一つの女の頭部ではすまされない何かを突きつけてくる。映画の中でロダンはモデルには片っ端から手を出すヒヒ爺的に描かれていたが、まぎれもない天才がこの頭部には働いている。ロダンは本当にカミーユを愛していたんだ。カミーユは結局ロダンに捨てられ、精神病院で最後を迎えるわけだけれども、彼らが生きた日々が極めて美しい、厳しい、切ない日々であったことを、この小さな頭部は静かに、ブロンズの冷たさそのままに静かに語っている。
ロダンはこの頭部をこね上げながら、彼女のことが愛おしかった。内に燃える情念に耐えながら、粘土を捏ね,削り、これを作ったのだ。じっと観ていると、その静かな、強い息づかいが聞こえてくるようでした。
他の絵画もさすがは石橋コレクションで、見応えがありました。しかし、なんといっても、今回はこのカミーユ・クローデルでしたね。
時々は美術館に行くもんだね。思わぬ出会いがあるってもんさ。
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