2013年
6月
05日
水
カレーパンについて
カレーパンがイケナイのは、全部食べてしまうことだ。半分でやめとこうとか、できない。だいたいほとんどのカレーパンは旨い。これはイッタイナンダ、と言うような犯罪的なカレーパンにはまだ出会ったことがない。だから全部食べる間、ずっと幸せなのだ。
カレーパンはだいたいどこでもいつでも旨いんだが、それでもこの食べ物には、名物によくあるような「わしとこのが一番じゃ。」みたいな主張が時々あるので、これがためにカレーパンワールドから目が離せないのである。
最近の「オッ、これはなかなかやるじゃないかカレーパン」はJR博多駅構内の目立たない通路の一画に楚々と咲く草花のような雰囲気のパン屋さんのカレーパンである。「さあさあ、今日はパン食って元気だせよ、みんな!」と言った雰囲気の大手のでっかいパン屋に完全に気圧されているたたずまいだが、ここの「名物」、「揚げたてカレーパン」は旨い。今から列車に乗るけど、腹は減っておるし、なんか食べながら景色を見て、旅情を感じていたいな、と言うとき、ここのカレーパンがよろしい。ボクはそれに熱いコーヒーがあれば、もうこれからの列車の旅はなにがあっても幸せである。
それから、最近はとんとご無沙汰だが、九州高速道路「大分道」の玖珠パーキングエリアのカレーパンが旨い。もう、ないかも知れないけれど、福岡から大分に向かう途中でたいてい買って、運転中に手をアブラアブラさせないように食べるのは難しいんだが、ほおばりながら行ったもんです。売っているお姉さんがちょっとかわいかったのもあるが、実に美味しいカレーパンでした。
それから、それから、なんでカレーパン話をしようと思ったかというと、ボクのクリニックのすぐ近くに、食材にこだわったレストランができていて、そこがこだわりパンをいろいろ焼いているのですが、今日カレーパンがお目見えしたわけです。パン生地にカレーを練り込んで、中身のカレーはたっぷり濃厚、具材は元気な野菜達がたくさん入って、ピリッと辛い主張もうれしい一品でした。それがあんまり美味しかったから、衝動的にお話しした次第。
カレーライスも随分食べ歩いたが、カレーパンも奥が深くてなかなか尽きせぬ食べ物です。(ああ、唾が湧いてきた。)
2013年
5月
19日
日
秋田に行った。盛岡にまた行った。
秋田市に行った。羽田まで飛んで、飛行機乗り継いで秋田に飛んだ。眠たくてずっと寝ていたが、フト目を開けると、まだ雪化粧をしたなんだか異様な感じの山がすぐ横に見えていた。地理に疎いから、なんという山なのか分からなかったが、何とも言えない迫力に見とれて、シャッターを何枚も切った。周りとは隔絶して、その山だけが屹立して、所々消えてはいるがまだ白々と雪の山肌で、明るい春の陽にそれが輝くようで、その山容にボクは胸騒ぎを覚えるようだった。
空港から乗ったタクシーの運転手さんに訊ねたら、「そりゃ、鳥海山だ。」と即答で、「ああ、あれがそうなんか。」と不明を密かに恥じたわけです。それにしても、異様だった。ボクには人跡絶える山のように感じられた。美しいんだが、遙かに遠い果ての地の山のように思えた。
盛岡の友人によると、「あそこは春スキーがいいんだ。」とかで、まあ、そうなのかも知れないが、鳥海山と初対面のボクは、それを聞いても飛行機の中で感じた「異様さ」は吹っ切れなかった。「地の果て」。そう、そんな感じでしたね。
盛岡はまたぞろ、友人達とカンパーイと言うわけで、緊張のない夜を過ごしました。この日、旧知のY君の紹介で、Hさんという数学者と知り合えました。彼は高校卒業後(Y君やボクが出た高校)、国立大学の医学部に進学し、卒業後、経済の大学院に行って、それから数学の道に入ったという変わり種と言えば変わり種の人物でした。ボクなんか、二次方程式ももう危ういくらいなんだが、彼の話は非常に面白かったね。Y君は漢文、漢籍の研究者。全く、分野が違う人間がガンガン話すのはいいもんですね。わからないんですが、さっぱりわからないんだが、それでも楽しいもんです。盛岡の街はさすがにあったかくて、この前とはえらい違いでした。しかし、盛岡は何でも美味しいね。この前行った店で、蕗を炊いたのを頂いたが、その蕗がでかいんだ、これが。最初は、なにやら形と原料がめづらしいちくわかと思ったもんね。それから、フキノトウの味噌、バッケというんだが、これがまた出て、上手かった。普通に出てくる日本酒がまた美味い。翌朝のホテルの朝飯もまた美味くて、完全なカロリー過多で帰ってきました。しばらく、盛岡に行く予定はありませんが、できればゆっくり行って、平泉なんかに行ってみたいね。
ちょうど「若冲が来てくれました展」が新しい岩手県立美術館で開催されていて、駆け足で観てきました。美術館は大変素晴らしい建物で、奇をてらってなくて観覧に適したスペースを十分に取った美術館らしい美術館でした。若冲他のプライス・コレクションは圧巻で、震災後の子供達を励ます目的でプライス夫妻のご厚意で実現したとか。プライスご夫妻もご来館されてましたね。ちらと見たが、写真と同じお顔だった。当たり前だが。
2013年
5月
12日
日
出雲に行った。
島根県は出雲に行った。聞けば、出雲大社が大遷宮を終えたばかりで、それは60年に1回という大変な遷宮なんだそうで、これは行かずばなるまいと、ちょっとの時間だけど、行ってきました。
すごい数の参拝者でした。お参りするのに長蛇の列なんだ。日本各地から遷宮成った大社を観に来られたんだ。記念写真を撮られている方も多くて、ちょっとお願いします、なんて声をかけられて1枚撮って差し上げた。ボクはよく写真を頼まれるのです。声をかけやすいのかねえ。確かに怖い人には見えない風体だけど、観光地で路を訊かれたり、前のブログに書いたウィーンのバスセンターで、どのバスに乗ったらいいのか、他の観光客から訊かれたもんね。ボクもよくワカランでうろうろしているのに、なんで訊くんかね。温泉地の湯布院でも路を訊かれたが、地の人に見えたんだろうか?そうそう、昔はじめて東京の銀座をあるいていたら、向こうから来た女性に、地下鉄の駅はどちらに行ったたらいいかと、訊かれたな。なんか、いかにもその土地を知っているような風に歩いているんかね、ボクは。
閑話休題。人また人の境内をうろうろしていたら、立花隆氏を見かけました。尽きせぬ知的探究心、知的スタミナ、知的勇気、インテリジェンスとはこの人に有り、といった感じの立花隆氏ですよ。ボクは「猿学の現在」という人類学、考古学、動物生態学の最先端をレポートした大著を大変面白く読んだ記憶があります。文藝春秋の冒頭コラムにいつも科学分野の話題を取り上げて、刺激的にまとめておられる。遠くから拝見しただけですが、ちょっと興奮しましたね。それにしても、この日の出雲は山陰とは思えぬ日本晴れ、社の屋根が青空にくっきり映えてかっこよかったです。
2013年
5月
04日
土
旅の思い出1
国際疼痛学会という厳めしい学会に発表しにウィーンまで行って、7日間の学会期中、ウィーンとその周辺をウロチョロしていたことがある。発表のポスターの横に2時間ほど立っていたら、エジプトの内科の女医さんが質問しに来て、何言っているのか全く分からず、向こうもボクの英語が分からないらしく、10分ぐらい疎通のない交流をして微笑み合って別れたのを覚えている。
で、そんなことはどうでもいいので、ある日、ハンガリーとの国境近くにきれいな湖があることを旅行ガイドで見つけたボクは、朝もハヨからバスに乗ってその湖のある町へと行ったのです。暑い夏の日がウィーンの郊外の畑を明るく照らしていたな。
名前も忘れたけれどその町に着くと、みんなゾロゾロ貸し自転車屋さんに行くんだ。で、ボクもついて行って自転車を借りたんだ。ドイツ語でだよ。すごいでしょ。自転車屋の親父の言ってることなんか全く分からんのに、よく借りられたもんだ。向こうも、ナニ言っているかワカラン小さなアジア人にパスポートだけでよく貸したもんだ。
そんで、ボクはなんだか「わしはいつもここで自転車借りてるんだ」みたいな気分になって、みんなについてシャカシャカ行ったのさ。そしたら、なんと彼らはハンガリーに入っていくのですよ。国境と言うより、田舎の踏切のようなバーを抜けたらもうハンガリーだった。とたんに道が砂利に変わったね。で、あとはずんずんハンガリーの森の道をこいでこいで、いわゆる国境の町に着いたわけです。ここで食べた郷土料理のグラーシュというシチュウが美味かった。7日間の学会旅行中、これが一番美味かったね。で、帰ってきた。ただそれだけ。でも、行きは自転車旅行団について行ったから、心細くもなかったけれど、帰りはもと来た道とは言え、ハンガリーの森を一人でこいで帰ったのです。聞こえるのは、砂利を踏むタイヤの音と、ボクの息づかいと、森をわたる風の音だけ。自転車を止めると、高く繁った木々が夏の風にザワッと揺れて、ボクは一気に小さく小さくなったようだった。孤独ともさびしさとも違う、なにかもっと大きな明るい無機質的なものが自転車とボクを囲んでいた。
ほんとになんであんな旅をしたんだろう。行かなくてもいいところに出かけて、心細さに自分を追い込んでいくようなことをボクはなんでしてきたんだろう。それはわからんのです。おそらくずっとわからない。意味のある旅などおそらく無い。自転車にまたがったボクとボクの目の前に高く繁って葉を揺らす木々に、意味などと言う曖昧なものはひとかけらもなかった。1995年のハンガリーの森、くっきりとした思い出です。
2013年
5月
02日
木
「薫寿堂」の書家が分かりました!
「薫寿堂」の作者がとても気になると、書いてから、ほんとに気になりだして、よし「薫寿堂さんに訊いてみるべし」と思い立って、HP探して、お問い合わせのメールを使って、恐縮しつつ訊ねてみたのです。そしたら、速攻で返事をくださり、その書家が判明しました。その方は淡路島にご在住の南岳杲雲(なんがくこううん)さんという書家で、この方のHPに「薫寿堂」のロゴとしてアップされていました。南岳杲雲先生は梅舒適という篆刻の世界の最高峰の方の書家のお弟子さんでした。関西、篆隷、男性と言ったところは、小生の想像通りでした。梅舒適作の「初心不可忘」という篆書の扁額が高校の書道教室にかけてあって、いつも目にしていたものです。なんだか、ご縁があるな、と勝手に思いました。薫寿堂様、ありがとうございました。
「街の書たち5 薫寿堂」