2014年
11月
24日
月
もう11月も終わり
もう11月も終わる。短かった夏の代わりというわけでもないだろうが、今年はやたらと秋が美しい。9月に父が急逝して、少ししんみりしているせいだろうか。なんでもない木々の葉に日が射して、晴れきった秋空をバックに風に揺れているのを見たりすると、「きれいだな。」と見入る裏側になにやらさみしいような感慨がはっきりとある。「この明るさの中に、ひとつの素朴な琴を置けば、秋の美しさに耐えかねて、琴は静かに鳴り出すだろう。」と八木重吉が歌った詩を思い出して、ほんとに「秋の明るさだ。」なんて、街角でボーッとしてる。少しアブナイ雰囲気かもしれない。
福岡を含めて九州の空はまるきりの青ではない。わずかだが、黄土色がまぶしてあるような空だ。このことを教えてくれたのは小学校3,4年の時の担任だったY先生だ。Y先生はちょっとした画家で、図画工作の時間に外で写生をしていると、「空は何色に見える?」と尋ねられた。僕は何をきくんだろうと思って、「青色?」と答えると、「君の目はふしあなかい?僕の目には小さな黄土色が見えるけど、君の目には見えないの?」と、空を見上げて眼を細めながら、にっこりされたのを思い出す。それ以来、僕の頭上の福岡の空は,ほんの少し黄土色のつぶつぶが混じった水色の空だ。
Y先生も僕が知らない間に、この世を去ってしまわれていた。自由であること、人に優しくすること、美しいものにあこがれること、そんなことを僕はY先生から教わった気がする。
人は去る。人は残る。立ち止まるわけにはいかないが、すこしゆっくり歩みを緩めているこの頃である。
名月や我ら地に在りものを食む 芝道