2015年

6月

22日

オオムラサキがやってきた。

 一緒に漢方の勉強をしているT’先生が、オオムラサキを持ってきてくれた。羽化したばかりという成虫が2匹と今にも羽化しそうなさなぎが3体。幼虫から育てたんだそうだ。僕がかって昆虫少年で、どうしてもオオムラサキを捕まえられなかった無念を話したのを覚えていてくれて、わざわざ持ってきてくれた。初めて見るオオムラサキ。籠の中でゆっくり動く羽の背に、あの鮮やかな紫がかいま見える。

 僕の叔父は高校の生物の先生で、昆虫のことに詳しく、夏休みになると僕を英彦山や霧島に昆虫採集に連れて行ってくれた。珍しいトンボや蝶をずいぶん集めたが、オオムラサキだけは見ることさえなかった。昆虫図鑑に燦然と輝くそれは、いつしか僕の頭の中で、捕まえることはおろか見ることさえできない昆虫の中の昆虫、蝶の王様のような存在に育って、あこがれだけがその紫の羽の色と共に残っていたのである。

 それが、今、目の前で羽ばたく。T先生は毎年羽化させては標本にしているとかで、水分のやり方だとか、めんどうになったら放してやれば勝手に生きていきますよ、だとか、いろいろ伝授してくれたが、僕は半ば夢のような気分でしばらく見とれていた。「ほら、こいつはもうすぐ羽化しますよ。」と言って、ひとつのさなぎをコツンと叩くと、なかで激しく羽ばたく羽音がするではないか。僕はもう完全に少年に戻って、遠い夏の日、美しい蝶を捕まえて間近にその姿を見た時の胸の鼓動を久々に感じていた。

 オオムラサキたちが入っている籠を院長室のドアノブにつり下げ、患者さんがちょっと空くと、そそくさと様子を見に行く。午前中はなんだかみんなおとなしく、羽を合わせてじっとしている。翌々日にはサナギはみんな孵って、籠の中は賑やかになった。1匹は、うまく羽が拡がらず、いびつになってしまった。何か僕が悪いことをしたんじゃないかと、T先生に確認したら、良くあることで、僕のせいじゃないと言われて、ほっとしたりもした。部屋にオオムラサキがいる。なんとも言えない小さな興奮が数日つきまとった。

 けれど、最初から感じていたある気持ち、うっすらとした心の揺れのようなものが日に日に確かになって来た。「この蝶たちは空を飛びたがっている。」「この美しい羽で風の中を羽ばたいてこそ、オオムラサキじゃないか。」

 高村光太郎の「ぼろぼろな駝鳥」の悲痛さが身につまされて思い出された。「返そう。この蝶たちを山に返そう。」そう決心して、僕は午前中の診療が済むと、オオムラサキたちを車に乗せて、近くの山に向かった。どの辺に放てば良いのかわからないが、山道から脇にそれた渓流の傍で、僕は籠を車から降ろし、籠を開けた。すると、蝶たちは分かっていたかのように、開いた出口の方にもぞもぞと歩いてくるではないか。小さく開いた籠の窓から、指を入れると、1匹のオオムラサキの雄が僕の指を伝ってするりと外に出てきた。そしてしばし、籠にとまって羽を数回動かしたと見るや、さっと飛び立った。梅雨の湿った空に羽ばたく彼は、瞬く間に森の向こうに消えていった。次々に籠から出して、空へ放つ。次々に空に消えていく。羽音も残らぬ。聞こえるのは強い渓流の音ばかり。僕はなんとも言えず神妙な気分で、森と空を眺めた。蝶を放つ、ただそれだけの行為だが、僕は何かが今分かったような気がした。オオムラサキが飛び立ち、空に消えていった。おそらくは無音のその数秒間、大きな音響が僕を包んだかかのようだった。

 曇り空を背景に「いまこそ」と羽ばたき去るその姿を僕はずっと忘れないだろう。輝く紫。図鑑の中のあこがれは、今、森の中の葉陰に羽を閉じて休んでいるに違いない。

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